江戸時代の医家の広告宣伝

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江戸時代の広告宣伝

『鍼灸OSAKA(119号)』の中にあった記事『江戸時代の医療倫理~曲直瀬玄朔「当門下之法則」~』より考えました。

なお私は歴史にさほど詳しくないので推論なども多分に含んで書いています。
その辺はご容赦いただき、今に生きる知識として使えるかどうかの視点で見て下さい。

江戸時代の医師を目指す者たちは、有名な医師のもとで学んで医師になっていったようです
当時「医師」というのは資格制ではなかったものの、誰かれ医師を名乗れたら医師業界にとっても都合が悪かったでしょうから、任意団体のようなものからの認定を得て医師になることも少なくなかったようです
剣術で言えば「○○流免許皆伝」とか、今で言えば「○○整体協会認定の整体師」のようなものでしょうか。

その中でも曲直瀬家の啓迪院は全国から人が集まる院でした。
有名ですよね、啓迪院。鍼灸学校の教科書にも載っています。

そこに「当門下之法則」という17条からなる学則があったようです。

当門下之法則(一部抜粋)

●道に従い、神仏に叛かず、邪路にはいらない
●慈仁を専らとすること
●口伝・心術はみだりに口外してはならない
●門弟以外の医師と盟を結んではならない
●後代に至るまで師弟関係を大切にしなければならない
●門弟が医道を廃する時は家伝の書籍を返却せよ
●利欲ではなく、声誉を専らとすること。診療して患者から報酬が得られなかったとしても、これを咎めてはならない
●他の医師の欠点を掲げてはならない
●欲心が甚だしくなり慈仁の道を失うので、花街への出入りを好んではならない
・・・などです。

内容の基本は、医師の「理念」「倫理観」「人間性」についてです
ただし、加入者への「秘伝の縛り」が異常に強力です。
これは現在の医業に(表立っては)ない考え方でしょう。

家伝・秘伝が重要視されることの目的は何でしょうか。
教育・文化・社会システム的な意味もあるのでしょうが、そこには経営的な意味を考えても良さそうです。

江戸時代も、医療業界全般の動向と同時に、自院の売上もまた大事と思われていたでしょう
商売(商い)の基本はすでに江戸時代にあったくらいですから、現代で通じるマーケティング手法も江戸時代には存在していたはずです。

現代の鍼灸院に通じること

江戸時代の医院も、現代の治療院も、経営とは商いです。
これはもう事実です。
患者さんに「知ってもらって」「選んでもらって」「来てもらって」「通ってもら」って、それが収入となり、院を継続運営できることが商いです。

まずは知ってもらうために、「広告宣伝(周知・アピール)」が必要です

新聞折り込みや電話帳やインターネットはありませんが、自分と他と差別化することは重要でしょう。
その時に、自分が他の治療家とどう違うのか差別化する上で「○○流認定」「○○門下」という肩書はとても有効だと思われます

ブランド化ですね。

たとえば団体代表が書籍を書き、肩書を広めれば、団体にブランド力が高まります。
会員をギルド的な結束で結びつけることで団体の存在感向上にも使えます。
会員をうまく地域配分すれば、会員相互の利益対立を防げます。
また、限定感を出せば「地域唯一の○○門下」的なアピールポイントにもなります。

もちろんそのためだけに門外不出を掲げていたわけではないでしょうが、そういう読みも可能だ、ということです。

江戸時代からすでに医療業界にも競争はあり、生存戦略のために権威性や独自性を掲げていたのだと推察します。
病める者に仁の心で医学を施すという志が第一だとしても、経営面も考慮することは、何ら間違っていないでしょう
同時並行的に行うべきものだと考えて良い気がします。

患者さんのことだけ考えて無私の心で施術「だけ」していれば良い訳ではないのです。
健全な売上を上げることで、自分自身の研鑚のもとにもなります。
また、総合的に研鑚を積み実践するからこそ、より多くの患者さんを惹きつけられるのです。

これは江戸時代も今の時代も同じですね。
単純に、売上作る努力もしていかなければ立ちいかなくなっっちゃいますから・・・。

いつも書きます「治療家目線」「経営目線」「患者さん目線」のバランスが重要という事ですね。
江戸時代から続く基本です。

 

プロフィール
この記事を書いた人
めしたけ

首都圏のベッドタウンで鍼灸院をやっています。
鍼灸師キャリアは約20年。
短期の繁盛(=成功)よりも、安定継続(=失敗しない)を目指しています。
3人の子育て中のシングルファーザーでもあります。
開業・経営・生活全般など、あれこれ書きます。

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