死別を経てぼくの天国観はこうなった

死別を経験した人へ

(注)今回はスピリチュアル的な話になりますので、そういった話に興味のない方はスルーしてください。

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死生観に変化が出た話

もともと私は「生きる意味」「死んだ後のこと」「あの世」に関心がありました。
(※少なからず誰でもが興味ありますよね…。)
その関心を満たすべく、医学・心理学・哲学や宗教(宗教組織には入ることはありません!)に知恵を求めたりもしました。

そんな私が身近で大切な人を亡くすという経験をしました。
死別を経験したのは9年前になります。

しかし、死別で自分の思想が大きく変わる、ということはありませんでした
やっぱり自分は自分のままです。
でも、例えば子供が生まれて親になると以前の自分とはどこか変わるように、死別を経て変わった面もあります
「考えがよりクリアになった」と言ってもよいと思います。
そんな話を書きます。

天国は天空にはない

人は死ぬと空に行き地上で生きる我々を見守ってくれている、とよく言われます。
「天国=空の上」説ですね(笑)
私も以前は漠然と「そんなものだろう」と思っていました。

魂は軽そうだし物理現象に縛られることもないから、やはり高い場所にいてニコニコ下界の様子を見ているだろう、と。
故人を偲ぶ人たちにもその方が幸せだろうと思っていました。

でも今は「そんなに上空にはいない」と信じています。
空の上にあって、地上で生きる我々とは隔離された「別世界」ではない、と。

魂はもっと人間臭い存在で、彼らのいる場所ももっとありふれた場所です(…と思っています)。
魂(霊)はさほどホーリー(Holy)な存在ではない、が私の思う存在です
今まで一緒にいた部屋のドアを開けて、隣りの部屋に行ってしまうようなものでしょう。
隣りの部屋に行ったからってその人の人間性が急に変わるものではないでしょう。

仏教では「霊は死後も修行する存在」と言われるように、魂は死んだ後も成長のために自分の務めにいそしんでいるでしょう。
それは決してワーカー的なものではなく、趣味と楽しみのためのランニングのようなもので、「やりたいからやる」ものです。

この世でも一生懸命働き、生活し、生きる。
あの世でも一生懸命働き、生活し、生きる。
肉体の有無などの質や条件は異なれど、原理原則は全く同じです。

だから、ココにもソコにも「あの世」はあって、この世とあの世は混然一体としていると考える方が自然だと、これまた自然と思えるようになりました。
レイヤーが重なるように「世界」は多重に重なっているのだろうと思います

妻の霊もきっとその辺にいて、今も自分なりの成長のための活動をしているのでしょう。

見たり聞いたりはできない

重なる世界ですが、双方で通信することはできないのが難ですね。
これにも意味があるのでしょうが、残念なことです。
もしかすると霊には我々が見えているのかもしれませんが、少なくとも我々には霊からのアプローチは感知しえません。

霊能者とか、特別な知覚を持つ人にはそういったものがキャッチできるのかもしれません。
そういう能力がない私や多くの人にとっては、結局は「見たり聞いたりはできない」と考えた方が良いです
見聞きでいないことに意味があるのだ、と自分を納得させた方が良い気がします。

生きる意欲を強める

「見聞きできない存在を意識して意味があるのか?」と問われれば、答えは「大いにある」です。

成長のための活動が死後も続く(=天国でのんびりニコニコしている訳ではない)とすれば、「死んだらリセット」のような発想は生まれません。
リセットなしで今生での記憶を抱えたまま霊になるのだから、良い生き方をしなきゃもったいないです。
生きる意欲が湧くってもんです。

死ぬまでは生きよう。
出来るならよりよく生きよう。
死んだ後のことまで考えて深く生きよう。

他人とのつながりも死んで終わりじゃない。
執着も未練も怒りも恐れも、みんな抱えたまま死んだ後も残るのだ。

そう分かったなりの生き方があります。

もちろん今現在、欠点の多い私には至らないことが多々あります。
品行方正でもないし、人にそんなに優しいわけでもなく、自分に甘いです。
ま、そういう自分なのだから仕方ない。

それを少しでも向上させるように努めるのが今できること、ですね。
死ぬまでに出来ることをしておきたい。

まとめ

死別して、霊やあの世が身近になりました。

天国は空の上にあって霊たちが牧歌的に暮らしているわけではなさそうです。

霊たちはもっとそばにいます。
この世の近いところにいます。
重なり合う場所にいます。

ただしお互いに簡単に意思疎通はできないので、今でも寂しい気持ちにはなります。
生きている私からすれば肉体がないってことはやっぱり寂しいこと。
いろいろなことが起こる中で、妻に聞きたいこと・話したいことを、空中に投げかけます。
問いを投げかけても答えが返ってこない。
これは悲しいね。

でもこれは生きている人間が引き受けるレッスンなのでしょう。
だからこそ、生きている人との関係性を大事にしなきゃいかんですね。

死を間近で見て私は、ある面で死ぬことが怖くなくなり、ある面で死ぬことが怖くなりました。
理屈ではなく感情的にそう思うようになった
それでも目を背けずに向き合っていきたいです。
死ぬまで生きることを味わいたい。

まとまりがつかないですが、そんなことを日々感じながら生きています。

プロフィール
この記事を書いた人
めしたけ

首都圏のベッドタウンで鍼灸院をやっています。
鍼灸師キャリアは約20年。
短期の繁盛(=成功)よりも、安定継続(=失敗しない)を目指しています。
3人の子育て中のシングルファーザーでもあります。
開業・経営・生活全般など、あれこれ書きます。

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鍼灸院経営とひとり親生活のハナシ

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