死別の悲しみを否定しない

死別を経験した人へ
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絆が強いほど悲しみは大きい

死別は苦痛である、と書きました。

家族の死別に対する心構えができている人はいない
いろいろな死別のパターンがありますが、共通するのは「死別は苦痛だ」ということです。 妻が亡くなった時、私は、自分の半身が無くなった気がしました。 よく「胸に穴が開いたような…」という表現がありますが、本当に空虚な感覚なのです。

どんなに知識を頭に入れていても、しっかりキッチリと心はダメージを受けるものです
そして絆が強ければ強いだけダメージも大きいです。
この場合の絆は、精神的な絆が一番ですが、実生活上の絆も結構大きいです。

妻とは寝食・子育てを共にしていたので、一番の仲良しであり、生活協同者であり、自分の半身でした。
それを失うことは、そのまま自分の半身をもぎ取られるような苦痛でした。

悲しみを無かったことにしない

死別を経験した人に対して、感情を押し殺してなるべく平常モードで過ごすことを世の中は求めてくるかもしれません
世間には、いつも通り何もなかったかのように日常が回転することを良しとする傾向はあります。
例えば仕事で、周囲に死別を経験したばかりの同僚がいれば、その同僚は今きっとツラいだろうなとは頭では思うでしょうが、それでも自分の身近には「死」を連想させる悲嘆や暗い影を感じたくないのだと思います。
だから、なるべくいつも通りであって欲しいと無意識に要求してしてしまう気がします。

同時に死別者の側にも「早く普段の生活に戻らなくちゃ」という思いもあります
それは心は24時間ずっと悲しんでいるばかりでもないですから、日常生活をこなしていこうとする部分もあります。
もしくは「早くこの悲しみを忘れたい」という思いが出ているのかもしれません。

ともかく、悲しみを表現する時間や場所がない、ことは由々しきことです

どうせ心に靄がかかったような毎日を過ごしているはずです。
そもそも頑張っても元の生活には戻りません。
頑張れるだけのやる気もないかもしれません。

心には大きな傷を抱えているのだから、それは当たり前のことです。

心から自分の想いに浸ればいい。
悲しみや苦しみにどっぷり浸かればいい。
日常生活がそれを許さないなら、一時期的に日常生活から切り離された方が良いくらいです

死別後の私の喪中

私はちょうど死別を機に転居して、鍼灸院を再びゼロ開業しました。

頭の中の仕事人の自分は「よし、今度の院でもしっかり生活できるように頑張るぞ!」と思っているのです。
開業直後にできそうな施策を意欲的に取り組んでいるのです。

でも、結果的にヒマでした。
それは表面的に見れば自分の経営力の欠如のせいですが、奥底には「今はこれでいい」という思いが働いていたのだと思います。

人生での前進を一旦止める時期

中にはふさぎ込んで引きこもるようになる人もいるでしょう。
放浪的に旅に出る人もいるでしょう。
生活を大きく後退させて端から見ると無為な時間を過ごしているように見える人もいるでしょう。

それが「人生の停滞」です。
停滞というとネガティブに聞こえるかもしれませんが、結果的にこれはのちの人生で大きな利益を生むはずです。

私は「開業したてだからヒマなのも仕方ない」という言い訳のもと、停滞の時期(「心の喪中」)にいました
※でも今思い返してあれが「停滞」だったと分かりますが、当時は自分なりに仕事をうまく軌道に乗せようと一生懸命やっていたのですがね…。

まぁ、死別後最初の1年間くらいの記憶は結構あいまいで、モヤモヤっとした毎日でした。
たしかに自分で思うよりもダメージを喰らっていたのだろうなぁと今では思います。
そのダメージを癒す時間が、ヒマな仕事時間だったのだろうと推察しています。

自分なりの「心の喪中」というのがあります
人によってその長さは違いますが、喪中にある時は、なるべく自分の感情のおもむくまま気のままに過ごせるよう、生活がゆったりしていることが重要と考えます。

悲しみを認識するから再出発できる

悲しみを無かったことにしようとしたり、なるべく早く元に戻ろうとしたり、は危険のサインです。
悲しみは確実にそこに存在しているし、もう元には戻れないのですから…。

悲しみましょう。
哀しみましょう。
苦しみましょう。

(イヤだけど)それを引き受けましょう。

まずは受け入れる気持ちになる、もしくは苦痛があることを認識する、ことがスタートです。

「時間が一番の薬」などと言いますが、これは本当です。
放っておいても、自然治癒力で、心も回復していきます。

でも、それはそこに傷があると認識した時だけ。
傷を無視したりすれば、それを治そうとする治癒力も働けません。

キツイ体験をしたのだから、それを上回る成長を遂げなければいけません。
もっと前より幸せにならなきゃいけません。

そのために悲しみを受け入れましょう。
それがスタート。
そして、時間とともに傷がふさがっていって、いつかこの経験があったから成長できたと思える日が来るはずです。
私はそうやって10年きて、今こんな話を書いています。

プロフィール
この記事を書いた人
めしたけ

首都圏のベッドタウンで鍼灸院をやっています。
鍼灸師キャリアは約20年。
短期の繁盛(=成功)よりも、安定継続(=失敗しない)を目指しています。
3人の子育て中のシングルファーザーでもあります。
開業・経営・生活全般など、あれこれ書きます。

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鍼灸院経営とひとり親生活のハナシ

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