父子家庭で親が体調を崩した時

父子家庭の暮らし
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シングルファザーが体調不良で入院になった

ひと月ほど前、救急搬送されました。
幸いにも命にかかわる病気ではありませんでしたが、しばらく入院しました。

今はまだ回復途上ではありますが、仕事も再開しています。
一日フルでは働けないので、稼働は半分くらいに落ちています…(涙)
今後の経営状況には不安がありますが、こればかりは仕方ない、と割り切っています。

さて今回、急に入院になりバタバタする中でいろいろと思うことがあったので書いてみます。

入院時の諸々

今回救急車には、実母と長女が同乗してくれました(長女は高校生です)。
本人(私)は意識はしっかりあるものの身体は動かせないような状況だったので、基本的には医療関係者の方たちのなされるがまま。
脳の検査など、最初の救急的な検査が続きます。

母親も付き添ってはくれましたが、やはり調子が良いわけではないので、病院にずっといるのも大変そうなので途中で帰ってもらい、長女に付き添ってもらいました。
検査の結果、急を要する処置は必要なさそうだという事、また搬送されたのが土曜日という事もあり、土日は専門の医師もいないので入院して様子見ということになりました。
「とりあえず入院」です。

そのため入院に手続きに入るのですが、長女は未成年で、諸々の同意欄に署名ができません。
今回は自分が寝た状態でじっとしていれば頭と手はしっかりしているので、自分で寝た状態で全て署名していきました。
これも「もし自分が署名できないような状況だったらどうなるんだろう!?」などと考えながら署名しました。
(まぁウチの場合は、実母に署名くらいは頼むことはできたとは思いますが…。)

また、娘にも署名以外の事務的な用件を頼むことはできたので、安心できました。
これまた、もし小学生や中学生くらいの子供だったらどうなっていたか!?と思わざるを得ません。
(まぁこれまた、そういう状況になればなったで何とかやり繰りして切り抜けるのでしょうが…。)

そうそう、
入院関連では、緊急連絡先を母親と長女にしなければならなかったことが心苦しかったですね。
たとえば、高校で勉強中に病院から緊急連絡が入るなんて、本当に最悪です。
(病院からの緊急連絡ほど嫌なものはない、と妻の事からも感じています。)

家族の絆

自分にとっても非日常体験でしたが、家族にとっても突発的な事件で大きな心理的負担を負わせたと感じています。

こういう時にふたり親だったら「まだ片方がいる」という安心感もあったのかな、などと感じます。
う~ん、どうだろう、違うかな!?
その家庭によって状況は違うから一概には言えませんかね。
ふたり親でも家庭内のバランスが乱れることには変わりないですもんね。
まぁ他の家庭のハナシはいいや。

今回の入院騒動で一番感じたのは、家族(子供・親)の大事さ・ありがたさ。

子供たちの成長に大いに感謝・感動しました。
高校生の長女のしっかりした対応に、一人前の大人ではないけど半分大人として扱っても大丈夫そうだという安心感がありました。
(まぁ、あまりそこに頼り切るのも本人に負担が大きいとは感じますので、もろ刃の刃ですが…。)
下の子供たちも、心配は胸に秘めつつ、でもいつも通りの生活を淡々とこなしていたようで、それを聞いたときは成長を実感し、感謝でした。

まだしばし生きていられるなら、この子供たちと一緒の時間を共有したいと本当に強く思いました。
ありがとう。

「まさか」は突然に起こるから…

当たり前に「人生のまさか」は突然起きます。
それは常に意識していました。頭の中にはありました。
最近では「大規模災害(地震とか)が必ず起こる」と言われていますし、いつ何時何が起きるか分からない意識は常にあります。

それでもいざこうやって「まさか」的な出来事を経験すると、また違った景色が見えてきます。

終わりを意識した生活をするべし、という事です。
人生の終わりは「死」ですから、死を意識して生活することが重要ということです。

私自身は妻との死別の過程を見つめてきたからこそ、死を意識する重要性には気づいていました。
以後10年以上、自分なりにその実践をしてきました。
しかし妻の件では、「死にゆく人の気持ち」よりも「残される人の気持ち」が優勢であったのは事実です。
生きていく人がどうやって大切な人の死を乗り越えるか、その心構えからの「死」への意識でした。

それが今回は「自分が死にゆく側」として、ちょっとだけその景色を垣間見た気がします。
ホントに、ほんのちょっとだけ、ですが…。
妻が対面した「死」への恐怖や不安や悲しみは、いかばかりであったかと今更ながら感じています。
そして、それに勇気をもって立ち向かった彼女を大いに尊敬します。すごいことです。

死を意識したとき「自分の何が残るのだろう?」と考えました。
人生で成し得た何かのうち、死後にも持っていける「何か」って何だろう?と考えました。

おカネ、じゃないよね。
資産、でもないよね。
名誉、でもないな。
肩書、など無意味だ。
社会的評価、もちょっと違う。
後世に残る成果物、もさほど本質ではない気がする。

今回感じたのは「感情」。
できればプラスの感情。
自分が感じた感情が死後も残るように思えました。
誰かを愛した気持ち、誰かに感謝した気持ち、誰かを支えた(支えたいと思った)感情。
誰かから受けた恩、誰かから受けた愛情、誰かから受けた親愛の感情。

こういうものこそが残るものなのだろうと再確認しました。
まぁベタといえばベタな表現ではありますが、本心です。

自分も他人も愛してあげて、自分も他人も楽しませて、人の役に立つ人でありつつそれが嬉しい自分でありたい。
そんな人生を積み重ねていければ「死」を迎えた時に少しは良い顔でいられるかな、と感じています。
今回の騒動ではそんなことを感じました。

人生はつづく。

プロフィール
この記事を書いた人
めしたけ

首都圏のベッドタウンで鍼灸院をやっています。
鍼灸師キャリアは約20年。
短期の繁盛(=成功)よりも、安定継続(=失敗しない)を目指しています。
3人の子育て中のシングルファーザーでもあります。
開業・経営・生活全般など、あれこれ書きます。

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